秋鹿パパ

第3話:転勤辞令が意味すること


入社前の面接で転勤できるかと聞かれ「できます」と即答した記憶がある。そういうものだと思っていた。社内にも総合職はいつでも転勤OK、という暗黙の了解があった。そのことについて書面で詳細な契約を交わした覚えはない。

そして入社5年目で最初の転勤を経験した。その後も何度か異動を繰り返し最終的には異動8回、引越しは9回経験した。それでも独身時代は何とも思わなかった。引越しも回を重ねるごとに手際も良くなり、赴任先では新生活をアレンジできる楽しささえ感じていた。

しかし家族がいるとなると事情は違う。転居を伴わなくとも異動によって生活が一変することもある。残業の多寡、出張の有無など、家事の分担や家族へのサポートなどを考えると仕事のスタイルの変化は無視できない。

そんな時、4つ上の兄が海外転勤になるというので年老いた両親も含めて一族皆で壮行会を開いたことがあった。その席上、短気を筋肉で包んだような頑強だった父親がお前は歳をとった親を置いていくのか、などと女々しいことを言って、親父も老いぼれたなと思ったが、確かに当時の父は軽度のパーキンソン病を発症しており、足腰もだいぶ弱っていて外出することも少なくなっていたから精神的にもあまり元気はなかったのであろう。すっかり生活強度が落ちていたのだ。これで自分が地方へ転勤にでもなったら困るな、とその時は思った。


その翌年の年末、悪い予感は当たるもので、今度は自分に転勤辞令が出た。赴任地は三重県四日市市。実はその少し前に勤務先の自己申告制度で転勤は可能としつつも、

実父がパーキンソン病、義父が悪性リンパ腫でそれぞれ闘病中であり転居を伴う異動はできれば避けたい旨を匂わせておいたのだが、結果的にそんなことはお構いなしであった

当時、実家とは電車で一時間の距離に住んでいたが、転勤すれば新幹線を使っても4時間はかかる距離だ。年老いた親のことが益々心配になった。

 

しかし仕事は仕事。年明け早々、会社の規定通りに発令の2週間後には赴任地に着任していた。2012年の1月初旬のことであった。ただこの時、2年後には家族だけでも住み慣れた川崎に戻すことを決めていた。既に自分の頭の中では仕事とライフの優先順位は明確になっていた。





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